Aの記

読めば読むほど強くなる本を探しています。

知ってる店と、知り合いの店に連れて行きたがる人

知ってる店と、知り合いの店に連れて行きたがる人

若い人ほど気に留めておいて欲しい、中高生でも。

 

コロナ禍少し前の忘年会で幹事役が「知ってる店が都合が付く」と
いう事で利用させてもらった店がある。
店は賑わっていた。

 

忘年会中に僕と仲の良い人間で構成された小集団の中で「不味くね?」と言う話が出て来て、「鮮度に微妙なものを感じる」と言い出す人間も出てきた。
訳も分からず食べる若手に小声で「生のものは食べるな」と制する先輩も出てくる始末。

 

幹事役には特に何も伝えず(何ならちょっと店を手伝ってた…)、瓶から直接入れる物は安全だろうと
飲み物を沢山消費して、忘年会費分を幾らか回収することにした。

帰宅時にばらけて歩きながら、気心の知れた数人だけになった際に「ちょっとやばかったな」「どういう知り合いの店なんだ?」「何で人が入ってるの?」
等と言い合った。

 

その次の機会がなんだったか、やはり飲み会の企画が上がり再び忘年会の幹事役が居の一番に名乗りを上げた。
前回の忘年会は誰が直接文句を言う事も無く穏便に済んでいるので止める者はなかった。

「帰りが遅くなると電車で困る人が居ない様に前回とは違う駅のそばが良いなぁ」等と、遠回しに前回の店を候補から外させる作戦が取られた。

 

そして前回の幹事役の、前回とは違うが知ってる店にセッティングされた。
「何でそんなに知ってるの?」となるんだが、まぁ置いといて。
今回の店は問題なく酒席は円満に終わった。

 

 

実は、知り合いの店にやたらと人を連れて行きたがる人種と言うのが居る。
僕の経験では、お小遣いの余裕と外食の自由度が上がる高校生から現れた。

 

「知ってる店あるから行こうぜ」と一軒じゃなく複数、グループで何か食べようとなると積極的に行く店を決めたがる。

凄く流行ってる店とかやたら美味いなら分からんでもないが、割と微妙な店を選ぶ。

 

これは、その店に新顔を連れて行くと得をする人間だ。
高校生レベルでコレをやらせるのは中々だが。
どうも自分の意思と言うより、身内かそれに近い関係性の人間に言われてやっていたと僕は考えている。
もしくはそこに高校生当人が「良い顔」を見せたいと言う面もあるかもしれない。

 

この行為は、新たに出来た友人関係から、それまでにその高校生が持っていたネットワークに「お金を運んできた」ことになる。

見返りは不明ながら、ある種のネットワークの中で「良い顔」が出来るのは少なくとも損はないだろう。


特にこの辺の互助会の様な仕組みの中で何とかサバイブしている店もあると思われる。

が、サバイブ出来てしまうがために通常の競争で得られるレベルに達せない場合が有るのかもしれない。

 

この記事の最初の方に出した鮮度に難ありの店は、こういったネットワークの中でお客を入れて店が維持されてると僕は考えている。

 

助け合いですね。


で、連れて行かれた貴方(僕)は、その「助け合い」に利用された人間だと意識した方が良い。
そして連れて行った人間との付き合いは、相手をよく観察しながら食事に誘われない程度の関係性に離した方が後々良い。


知人・友人との関係性を自分の持つネットワークの中で換金する人間との付き合いは、金銭的には食事代金以上が無かったとしても、そう言った人間性との付き合いにおいて、ある種の汚れの様な物を自分の心につけていく。

 

誘っている当人も美味い店に行くべきなのか、良い顔をしに行くのかもう分ってない可能性もある。
チェーン店でも、名の知れた店でも微妙なのはあるので気を付けてほしい。

 

あ、知り合いとは言っても、人知れず超一流の店に連れて行く人間もいる。
食べれば、「マジっすか?」「これマジっすか?」となる様なとんでもない程に美味しい店に連れて行く人間も居るので、こっちは付き合っといても損はない。


後で自分で改めて行きたくなる様な店、別の知人を紹介したくなる様な店は良い。

そういう店に連れて行く人は単に食べるのが好きな人の可能性が高いから。

 


気をつけるべきなのは、大して美味くもない店にやたら通うとか、そう言った店に知り合った人を連れて行きたがる人。

そういう人間に対して「こいつは利用できないな」と思われる様に、コトを荒げずに距離を取るようにする。


そう言う人間との付き合いで消費したかもしれない時間やお金をより良い方に使う。

これをやればね、映画ペイ・フォワードじゃないけど良い感じになると思われ。

(旧2ch風)

 

付き合いとか関係なく、良いモノ・美味しいモノを食べなされ。

 

ちなみに代々議員の家系は地元の多くの人間に良い顔をする為に相当に気を遣う(店を利用する・お金を落とす)と、政治家に嫁入りした元女性タレントがラジオでうっかり喋ってた、誰だったかなぁ。

みんな大変だなぁとは思う。

 

 

10月で止まったカレンダーと来年の2024カレンダー

10月で止まったカレンダーと来年の2024カレンダー

 

毎年、カレンダーは銀行や郵便局がくれる物を壁等に貼っている。

家全体の中で自分の管理可能な場所で6か所。

別に居住スペースが広いわけではなく、やたら貼ってるだけ。

いつの間にか日が経ってしまうし、意識しようと。

 

内訳

地銀と言われる銀行から3つ、大手銀行から1つ、郵便局から2つだ。

これを基本として、自治体から貰えるのを貼る事もある。

 

無くなった物

かつては大きい銀行、三井住友とみずほの2行のカレンダーを気に入ってた、

1年が一括で見られる1枚モノだった。

三井住友は絵画で柔らかい感じで、みずほは鮮烈な目の覚める様な物が多かった。

しかし、ここ何年かで配布しなくなった

もしかしたらお得意様だけとかターミナル駅近くにある様な大型店舗で配っているのかもしれないが、地元の支店では配布せず。

 

残高は兎も角もお得意様のはずだけどな!!。

 

現在

そこで地銀から2つ入れた。

 

ちなみに農協の銀行・JAバンクは口座の無い方には配布しませんとのこと。

まあ、これも場所によるかもしれない。

 

地銀の内訳

地銀の3つの内の1つは、ずーっと同じ画家の人が描かれているもので描きおろしだと思う。可愛らしく絵本の様な感じ。

2か月で1枚が6枚綴りのもの。正月と桜と鯉のぼりと海と紅葉と雪景色。

テーマは大体決まっている。

 

もう1つは写真を元に描いたかのような精緻で地味な絵だ、限りなく写真に近い。

年末の帰宅途中に地銀のATMコーナーからこぼれる明かりに中を覗くと、余ったのか傘立ての様な入れ物に丸めたカレンダーが沢山さしてあり、ご自由にどうぞのメッセ―ジがあって「じゃあ貰います」みたいな感じで貰って来たもの。

慣れたら、その地味さ加減が良い感じになったので継続中。

 

もう1つは1年1枚モノで花束と言うか鉢植えと言うか、花がドカンっと描かれていてこの地銀の流儀なのか一昨年も昨年も大きな花で決まってるのか続いている。

玄関脇の花瓶の代わりにはなるなと貼っている、ウチは花とか飾らないので丁度いい。

 

近所の大手銀行、最後の砦

残る大手銀行は「りそな」だ、「りそな」はくれる。

「りそにゃ」と言う猫のキャラクターがかわいい1枚で1年分のカレンダーだ。

1枚が12等分のマスに区切られたデザインなので、自分で切れば1か月ごとにめくるカレンダーにも出来る。

 

ちなみに今年は未だ貰えていない。

ご好評につき品切れだそうだ、そんなことありますかと内心怒り狂ったが、銀行で怒り狂ってる人は逮捕される気がするので普通な感じで居た。

 

12月25日に再配布開始とのことなので時間を見つけていく事になりますが、又無かったら来年どうしたらいいか分からにゃい。

 

 

見ないカレンダー

10月で止まったカレンダーは自室のものとトイレのもので、郵便局から貰ったモノだ。

何か誰も(一つは自分だが)見てないっぽい。

気付いたら2か月位はそのまま。

 

1つは観光地的なイラスト、もう1つはポストのある風景の写真。

悪くはないしむしろ良いと思うんだけど、場所かなぁ。

自室だと結局はパソコンで見てしまうんだな。

トイレは集中しちゃうのかなぁ。

見ないなら要らないかと来年のは貰ってない。

 

決戦は月曜日

何はともあれ、りそなのカレンダーをゲットすべし。

 

 

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今週のお題「餅」 年末のイベント「のし餅」を切る大会

今週のお題「餅」 年末のイベント「のし餅」を切る大会

 

かつて大家族だった頃、孫達はお餅に関してのお手伝いがありました。

祖父母の指導により、お餅を切ります。

 

そのお餅は「のし餅」と呼ばれる板状のもので、まな板を何回りか大きくした上で厚くしたものです。

 

ネットで見ると1.8キロから2.5キロで売られている様です、当時モノは分かりませんが大きい事は有っても小さい事は無いと思います。

 

これを年末に段ボール箱でお米屋さんに届けてもらいます。

5枚より少ない事はなかったでしょう。

 

1枚ずつビニールでくるまれ、お餅は乾燥しないようになっております。

そのビニールにはマス目がひかれ、それに沿って切っていきます。

丁度、1人が1回に食べるお餅の大きさになりますね。

 

子供の力では段ボール箱を持ち上げる事は出来ないので、1枚ずつ低い大きなテーブルに運びます。

1枚でも限界に近い重さです。まな板に例えましたがのし餅は非常に柔らかいので、腕の上でグニャリとしなります。

 

大きい包丁を使用して切る事になります。

先に柔らかいと書きましたが、柔らかい事は柔らかいがストンとは切れません。

子供の腕力だけではちょっと難しい位の物体で、刃が下まで中々通らないのです。

 

子供の腰より低い高さのテーブルの上に何だったか台を敷きその上にのし餅をセット、マス目に沿わせて包丁を置きます。

右手で包丁を持ち左手で包丁の背を押し込む感じ、そこに更に上半身を乗せます。

上半身がのし餅を覆う程に前のめりになり、胸若しくは腹の真下に包丁が来る様にして体重を乗せて力を加えると「ぬぬぬっ」と切れていきます。

何と言うか粘るんですね。

 

これを孫の中の男子だけがやることになりますが、手のひらに包丁の背の跡が付き腕全体がバカになったかのようになります。

時間もかかりますし、疲労も結構なものです。

 

祖父母監視の元とは言え包丁を使えるのは緊張感もありつつ楽しいですし、工作の延長線上でした。

そしてお餅の感触は非常に気持ちが良い。

僕たちは結構楽しみにしていました。

 

今、売ってる切り餅なんかはカチカチのブロックの様ですが、のし餅はしっとりしていて、ちょっと頬ずりしたくなる位に良い肌触りです。

 

それで、お正月に備えることになります。

 

おまけがあって、その日は切ったばかりのお餅を皆で食べます。

磯部巻き、砂糖醤油、黄な粉と砂糖で。

疲労もありますが、お餅の鮮度が高い状態でもあって非常に美味しかった記憶があります。

 

 

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日本最初の家計簿「羽仁もと子案 家計簿」

書店で独特な家計簿を見かけたので手に取ってから、買わないのに調べた事を記録しておく。家計簿の名称は

 

羽仁もと子案 家計簿」婦人之友社


その潔い表紙に反比例して、絶対難しい奴でしょこれと思わせる風格。
和装女性にピシッとやられる感がする。
羽仁もと子は日本で最初の女性新聞記者で自由学園と出版社の婦人之友社創始者

 

 

開いていみると家計を真剣に運営する雰囲気で「簡単料理」や
「今日は何の日」的なものは一切なく、突き放す様な佇まい。
突き放し過ぎて、その日に買ったモノを書くページすらない。
その日をどっかで全部合計してから書く。

いくら使ったかと生活費の残高は一日毎に確実に把握。封筒に生活費を小分けする人とかは馴染むかも。

 

幾らなんでも無理でしょと思い帰宅したが、どうにも気になってネットで調べてみると、別売りの家計当座帳とセットで使うのを推奨していた。

 

つまり、詳しくないのであれだが会社みたいなもんで、レシート(伝票)を当座帳(仕分け日計表)に転記、それを家計簿(元帳)にまとめると言う流れをやってる様なのだ。

 

現代の家計簿は日記帳の様に1日ずつ書く所が用意されていてそこに頭は使わずただ書き込んで、週ごとにまとめ、更に月ごとにまとめるのを1冊で完結出来る。

これをわざわざ分けるのは不思議なのだ。

 

出版社がこの家計簿の使い方動画をyoutubeに上げていた。

www.youtube.com

 

日々の雑多な買い物ではなく、お金の流れだけを追える司令塔にするために、分割してるのかもしれないなと思った。

年間計画を何より重視、その日暮らしや流され傾向の人間には相当難しい印象を持った。

何の為に生きるのかを問われる感じすらある。

 

実は今時に合わせた家計簿も出してる様子。
なので、それはそれとしてオリジナルはこの形ですよ、それとこの形になれてしまってる人がいるから出す必要があるとかだろう。
※日本最初の家計簿がこれだそうだ。

 

それにしてもこの動画は中々凄い。
”8時半から記帳をはじめて、テレビのニュースがはじまる8時45分にはつけ終わります。”
と書く時間まで指定してくる。

 

まず、全体の把握と計画・予定ありきで日々の収支にオタオタしない強い昔の主婦像が浮かぶ。
特に動画終盤の羽仁もと子の言葉は明治の女傑の風格。

あと、驚いたのが出版社がそのまま継続してること、家計簿も強いけど経営も強いのかねぇ。

出版におけるる婦人なんとかって、割とどっかに吸収されてブランドは残ってるけども…な印象があるのよね。

 

ちゃんとした人の作るものはいいですね、大変そうだけど。
取りあえず来年の自分はクロワッサン家計簿で頑張ります。
だってもう買っちゃてるからね。とりあえず、費目とかをもうちょっと真面目に分けてそれを徹底するようにしよう。

んで、再来年に勇気が出たら買うかも、買わないかもw。前書きの圧力も凄いんだよ…。

 

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病歴を語る時間2

病歴を語る時間2

 

病歴を語る時間の記事作成をして思い出したが、僕の周囲で糖尿病の話を何人か聞いている。

 

その内の1人は父。長期間の糖尿病経験者だ。

酒、煙草、+相当食べるらしく、若い頃から糖尿病は始まっていたと思われるが、

母方の祖父母が心配して強制入院させ、減量+断酒+生活改善したらしい。

実際、僕も父の飲酒は一度も見たことが無い。

 

父に聞いた話によれば完全にアルコール中毒でシャッターの閉まった酒屋を起こすレベル、他にもアル中のみじめな告白エピソードを沢山持ち引き出しの多い人だった。

 

そんなわけで酒と異常な食生活を改善出来た父だ。しかし、煙草と縁を切るのは時間がかかった。

医者に、煙草で悪くなった肺の画像だかレントゲン写真だか見せられたりして、禁煙モチベーションは上げていた。

 

僕が小学生くらいまでは「わかば」と言う安物扱いの銘柄を良く家で見た。

ただ、煙草の害は理解し辞めようとはしていて途中からタール・ニコチン吸着フィルター的な物を使っていた。

後に禁煙パイポ的な物もしばらくの間使っていた。

 

僕が中学の頃には完全に禁煙に成功し、以降は一度も煙草と関わらなかったと思う。

鋼の意思である。

 

しかし、それでも糖尿病は続いていた。

 

で、僕は小学生くらいからアレルギー性鼻炎になり、慢性鼻炎、小児喘息、喘息とランクアップし続け中学生までの間に苦しい子供時代を過ごした。

 

父親のせいにも見えるが、僕は祖父母宅に居る事が多く小学校以降に関して言えばタバコの直接的被害は受けてないか少ない。

喫煙者当人を含めて家族中で僕だけが喘息持ち。

また、僕は煙草や箱や吸い殻は見たことあるが、煙草を吸っている父を見たこともない。

ちなみに父曰く「タバコを吸ってるかどうかは幾ら換気をしても壁の色で分かる」

(`・ω・´)キリッ

とカッコイイ風の発言をしているが、正直面白い。

 

中学の喘息ピーク時は夜の咳が止まらなくて仰向けで寝ることが出来ず、布団を丸めて抱き抱え上半身は起こした状態で睡眠に入ることも多かった。

睡眠に入ると言っても深夜1時位までは咳はどうしたって止まらないので、どうにもならんことではあるのだけど。

咳を続けて続けて続けた先に一瞬訪れる、静寂の安寧を皆に味わってもらいたい気持ちも少しある、アレは素晴らしいよ。

 

病院通いが功を奏したのか父の禁煙が利いたのか、それ以外の環境の変化が利いたのか分からないが喘息はピタッと止み、高校時代は割に健康ライフであったので良かった。

 

ちなみに、喘息のMAX時の痛みは背中に来る、肺は背中側にあるかららしい。

だから中学生の頃は咳による体力消耗と喉の痛み、背中がひび割れて中から具が出てきちゃうんじゃないか位の激痛に耐えながら睡眠がやってくるのを待っていた。

 

更に、喘息の薬が便秘にさせる副作用あって1か月位出ない事もあった。

アレも酷過ぎてレントゲン撮影したなぁ、思い出…。

逆に便通が快調だと呼吸器疾患にいい影響を与えるらしく、こっちから積極的に改善していく方法もあったりする。

 

なんかね、親も尽力してくれ僕もよく耐えたと思うけど、自分が産まれる前に親がタバコ吸っていた経験があると遺伝的に既にアウト説、乳幼児での副流煙の影響がトンでも無く大きい説とあり、喘息は避けようがなかったかもしれない。

 

あの辺は煙草に無頓着な時代だろうしね。実際、喘息になるのは少数派だろうしなった本人の問題にされる場合も多いんだろうなと言う感じはする。

でも、まあ治って良かった。

 

父の糖尿病は直りはしなかったが報道とかで聞く様な酷い状況にはならないですんだのは、早期に向き合い努力継続したのが良かったのだろうなと勝手に思う、偉いもんですわ。甘いモノとかチョコの一片すら食べたがらなかった。

「諦めたらそこで試合終了ですよ」と安西先生は仰るけど、本当にね。

 

 

 

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病歴を語る時間

盲人は僕の隣の隣の診療科の前にある長椅子に座る。

すると、そう間を置かずに職員がやって来て、その盲人に話しかける。

 

病歴を語る時間」が始まった。

初診診察の為のアンケートを盲人は書けないので、病院の人が項目・内容を読み上げ、それに盲人が返答する形で回答欄を埋めている。

正直、人の病歴など何の興味もないのだが、下向いて本読んでる自分の耳にもガンガン入ってくる、声のボリュームを下げられないタイプか。



脳挫傷の恐れあり」

盲人は昨晩、酔っ払いに絡まれて頭に出血を伴う怪我を負った。その際に救急車で病院に運ばれ救急措置は受けた。(理由は不明だがその後に帰宅)

その病院はココではない別の病院らしいが、脳挫傷の可能性があるので翌日に精密検査を受けてくれと言われ紹介されてこの病院に来た。

のがこの病院に来る流れだそうだ。

 

アンケート内容を上から読み上げていくので、氏名、年齢、性別からしっかりハッキリ聞こえてしまっていて個人情報の安全性もへったくれも無い状態である。

 

年齢が割に自分に近かった。

 

「失明と糖尿病」

彼は中途失明者であった、糖尿病が原因で失明したらしい。

話の流れだと失明したのは成人以降だろうから、そこから視覚障碍者のトレーニングを受け独力で生活し(てるらしい)、白杖で街中を移動できるところ迄来たその努力は想像を絶する。

当然その日も一人で来ていた。

 

結核

糖尿病患者は結核になる確率が高いらしいが、彼は結核経験者であった。

入院・投薬もきちんとし今は誰にも感染させる状態ではないと自信を持って語っていた。

 

他にも病歴はあった様だが覚えてない。

それほど間を置かずに1人の人間にこんなにも大病や怪我が起きるものかと驚いた。

 

 

自分の診察を終え処方箋や会計に出す書類が出るのを待っている間に、

自分の隣に座った高齢の母親と娘(若作りの娘か孫の可能性もある)がアンケートを、

やはり読み上げ形式で書き込んでいたが、こちらも凄かった。

長生き=病歴のデパートになってた。

しかも辛い感じも全然なく、なんなら大病を忘れてて、そう言えばと後出して思い出してくるスタイル。

肉体以上に精神的にタフでないと長生きは出来ないわぁと思った。

(ちなみに待つ必要は無かった、直接会計にデータが行く病院であった。)

 

凄いハンデ背負って普通の顔して生きてる人が多いのだろうなと考えると、中々凄い。

視覚障碍者のハンデが視覚だけと思うなよ、であり。

年取って足も頼りなく病院の新システムにもついて行くことが出来なくなった時に、一人で病院に行く頼り無さを思うと寒気がするね。

 

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黄色い男の立つ交差点

実家へ夕食時に行ったのだが、過疎感が増し少々怖い。

街灯の幾つかが壊れているのか道が暗い。

 

かつては商店が並びそれなりに人通りのあった道も少しずつ店を閉め、今では広い道を挟んだ住宅街になった。

 

その交差点の一角に蛍光イエローの上着を着た男が立つ。

どうやら仕事としてやっているようで、治安維持なのか事故防止か、

暗い交差点で周りをオーバーに見回す黄色い男は中々に独特な風景を作る。

 

かつて夕食時の時間ともなればどの家も煌々と明かりが漏れ、換気扇の音を交えた料理の音や、笑い声か野球中継の音が聞こえてきたが、今やゴーストタウンすれすれの静かな街になってる。

単に道(歩道)側の電気を付けてないのか、住んでる人が減ってるのか?

共働き+労働時間が増えて未だ帰宅出来てないのか?。

 

大きめの集合住宅であれば人が居ようが居まいが、建物の中の公共空間の照明が夜間つくはずだから、それなりに明るくなるのだが、そういう明かりもない。

 

前は自動販売機の照明も街の灯りとして一役買っていたのだが、それすら無い。

その癖、自分の居たころでも深夜になると外国人集団がポツポツとたむろしていた。

 

女子供は夜もう出歩けない感じ。

 

どうするんだろ?。

街が死にかけている、公共交通機関も揃って便利な場所なのに。

地元住民が全滅するのを待って再開発でもするのかね。

 

と言うか、駅の方は大規模な再開発してるから、案外ヤル気かもしれない。

だとしたら上手く行ってるのか、街を暗くしていくやり方って。

 

そしてまた黄色い男が増えるのか。

 

ちょっとSFっぽいな。

 

 

 

 

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