平岩弓枝さんが亡くなったニュースを知り、NHKのラジオ深夜便に出演した際に話されていたことをボンヤリと書いておきます。
有名な作家さんですね。
時期は西遊記の新聞連載時で15、6年前だろうか。
勘違い覚え違い等あるでしょうから、誤り等ご指摘いただければ幸いです、いつか修正するかもしれません直さないかもしれません。
彼女の、あの感じが幾らかでも伝われば自分としてはベストです。
先ず、西遊記の挿絵が凄く可愛いくて楽しみでそれを見てくださいとのことでした。聞き手は誰だったか賛同してました。
平岩さんは東京の代々木八幡宮と言う神社の神職の家のお子さん。神社の敷地内に住んでいます。
小さい頃は何の事情か忘れましたが、とても長生き出来ない子供と親戚一同から思われて、本当に大事に大事に育てられたそうです。
小学生の頃、学校を勝手に早退、かと言って早く家に帰ると怒られるかもしれないので、空き地で時間調整の為に暇をつぶしていると、家で飼っている犬が何故かやってきて一緒に遊んでくれました。
そろそろ良いだろうと家に一緒に向かうと、それ迄は一緒だったのに到着直前に犬は走り出して家に先回りし彼女を待ち受けます。
そして、自分が家に着くと大きく吠えて、定時帰宅のお出迎えアピールをしてくれます。
そうです、平岩弓枝が通常通りの時間に学校から帰ってきましたよと言うアリバイ工作をやってくれるわけです、さっきまで空き地で一緒に遊んでいたのに。
家の人は知らず普通に迎え入れますが、後に学校の先生から「早退しましたが大丈夫ですか?」との連絡が入ります。
それを聞いた母親は、犬までグルになって私を騙すなんてとショックを受けていたそう。
学校生活も楽しくやって大した就職活動もせずに卒業を迎える。
友人が心配してくれて「自分の父親が出版関係にコネがある、そこで作家さんを紹介してもらって弟子にしてもらってはどうか?」との提案を受けます。
戸川幸夫と言う直木賞もとる作家との面接は喫茶店で行われ、心配した友人が付いてきてくれました。
戸川幸夫は二人の若い女性に「何でも頼みなさい」と言って、友人は珈琲、平岩はパフェを頼みます、パフェを食べたことが無かったので何かわかりませんし興味があったわけです。
届いたパフェは想像以上のもので平岩は一生懸命にそれを食べます、とけてしまいますから急がねばなりません。
面接に関しては作家の質問に対し友人が全て答えてくれました。
「では、いらっしゃい」と言った作家に平岩が「はい」と答えると「え?君なの」となります。
そりゃあそうでしょう、ええ。
就職面接に関しての質疑応答の横で、ただパフェ食べてる人ですから。
戸川幸夫の元で1から物書き修行した平岩は早々に本に載る作品を書き上げ、「私の教えられる事はもうない、良い先生を紹介するからそちらで教えて貰いなさい」となります。相当頑張ったようです。
そして紹介されたのが、戸川幸夫の師匠筋にあたる大作家「瞼の母」の長谷川伸。
彼の門下生には山岡荘八だ池波正太郎だのと年の離れた男性作家ばかり、そこに女子大出て少しの女性が入るわけですね。
物凄い緊張したわけですが、勉強会の初参加時のお茶菓子に饅頭だか大福が出ました、仮に饅頭にしておきます。
隣の作家さんが「僕は甘い物はあまり…、君食べたまえ」と饅頭を一つくれました。すると別の作家さんが「若いんだから沢山食べないといけないよ」と饅頭を一つくれました。
最終的に幾つになったかは不明ですが盛られた饅頭を彼女は頑張って食べきります、失礼があってはいけませんから。
人生であれほどの饅頭を食べたのはあの時くらいだと平岩さんは振り返りますが、その帰り道。
同じ道を行く先輩作家が、
「あんなに饅頭を食べる女性を自分は初めてみたよ」
と。
「食べさせたのはあなた達でしょ!」と心で思いながら歩いたのが長谷川伸門下生初日の思い出だそう。
なんやかんやで可愛がられます。また頑張ります。
これまた早々に直木賞まで取ってしまいます。
話し飛んで長谷川伸の晩年、病気で面会謝絶かそれに近い状態になった時に何も食べる事が出来ないと聞いて、長谷川伸が好きな店の天ぷらを食べさせてあげたいと店に行き、無理にお願いしてテイクアウトを作ってもらい病院に持って行く。
長谷川伸は受け取ってくれたそうで、これで幾らかでも元気になってくれればと言う気持ちだったそう。
今思うと、食事も喉を通らない人が天ぷらなんて、臭いだけでも辛かったのでは?と考えたのは後の祭り。
優しい先生だったと。
とても長生き出来ないと大事に大事に育てられた彼女は、
周囲の期待に応えつつ91歳まで辿り着く。
そう言えば、ラジオの後は何故か、長谷川伸の本を幾らか読んでしまいました。
もし追悼放送等で流れたら聞いてみると面白いかと思います。
知らない人はプロフィールも。
(平岩弓枝さんプロフィール)
1932年東京府の代々木八幡宮宮司の娘として生まれる。日本女子大学を卒業後、戸川幸夫に師事、その後、長谷川伸の主宰する新鷹会で修業。59年「鏨師」で第41回直木賞を当時の戦後史上最年少で受賞。テレビドラマ「女と味噌汁」「ありがとう」「肝っ玉かあさん」シリーズなどの脚本家としても多くのヒット作を生み出す。73年から「小説サンデー毎日」に「御宿かわせみ」を連載、82年以降は「オール讀物」へと誌面を移す。87年女性初の直木賞選考委員に就任、以降23年間にわたり選考委員を務めた。91年『花影の花』で吉川英治文学賞、97年紫綬褒章、98年菊池寛賞、2004年文化功労者、08年『西遊記』で毎日芸術賞、16年文化勲章。