Aの記

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化石ゲーマーの独り言、対戦格闘ゲームの負の面について。

化石ゲーマーの独り言、対戦格闘ゲームの負の面について。

対戦格闘ゲームは面白い。

メガドラミニ1,2に入ってるのもやるし、PCでも幾らか買ってる。

買い逃したけどアストロシティミニが欲しかった理由の一つはVF1だ。

 

負の面を一つ書く。

対戦格闘ゲームは楽しく遊べ過ぎる為に、他のゲームを遊ぶ時間が減る。

要はこれを書いときたい。

 

「楽しく遊べる」を十分に味わおうとするとそれなりの負担、修行が必要になる。

多くのプレイ可能キャラ、多彩な技、複雑なシステム、キャラ毎の相性や、プレイスタイルの自由さ等、学習と理解と習熟が必要。

 

1人で遊ぶ分には適当でもそれなり楽しいが、やはり解説読むなり動画見るなり、又単純に個別の技をキチンと出せるように練習した方が良い。

BEEPメガドライブFAN P.55

どんなゲームも多かれ少なかれ同様の事はあり、クリアを含めたご褒美だけでなくその出来るようになる過程もがそれなりに楽しいのがゲームの良い所だ。

 

ただ、その負担・修行が大きすぎる。

これが対戦、つまり対人間のゲームになると無尽蔵とは言わないまでも更に多くの時間を取られるようになる、むしろそっちが本番。

対人間の戦い方を学んで研究して身に付けなければならない、相手も学ぶので終わりがない。

 

これを対戦ゲームの全盛期は1ゲーム毎にお金を払ってやっていた、50~200円。

正直、対戦ゲームに費やしたお金や時間は恐ろしくて計算しようとも思わないが、

その分をあれ買えば良かった勉強に充てれば良かった、とか言う話ではない。

 

 

他のゲームをやれば良かった。

ま、これ、これなのよ。

カセット式からCDへとゲーム媒体が変わっていく中で格闘ゲームブームは、新ゲーム機の普及拡大に貢献したはずだが、その大転換期に産まれた多くの新しいゲームの芽も潰したと思う。

雑誌等で面白そうだなと思っても、家で新ゲーム機で格闘ゲームの練習をしてゲームセンターで対戦、または友人宅に集まって新ゲーム機で対戦。

この半分の時間なりお金なりを別のゲームにしとけばもっと多彩な楽しみが得られたはずなのにと思う。

 

新機軸のゲームはどう楽しむのかが分からない所から雑誌等の紹介を得て「なんか面白そう」で購入し、

「お?、これかこう言うのが面白いのか」みたいにある種の発見や手探り感を楽しみなら、自分の中に面白さの引き出しを作ってくれる。

 

そう言った新機軸だったり独自性の強い作品がPS、SS時代は新参メーカーから沢山出てた様に思う。

しかし、新参メーカーの新規タイトルの続編が作られた例は多くは無いだろう、PS→SS、SS←PSの移植で多少の要素を増やす位の事はあったろうが。

全体としては少しずつ古参メーカーの大作・続編・新機軸の強さが目立つようになっていった気がする。

新参メーカーは売れなきゃ次が作れないかチャレンジをやめる、古参や大手はビッグネームや続編で手堅く稼ぎつつ意欲的なチャレンジも出来てしまう。

 

DC、PS2GCまで生き残れた新しい芽、新しいジャンルのゲームはどれだけあったんだろう?。

 

生物の進化でカンブリア爆発やバージェス爆発と呼ばれる、滅茶苦茶に新種が出てくる時代があった。(今やそんなでもないよ説らしいけど…)

ゲームにおいてはゲーム媒体がCDになる時代の初期から中期あたりが爆発期の1つだったのに、その時代を圧倒的強者である格闘ゲームが新生物を食い荒らしてしまったイメージだ。(厳密にはユーザーの財布と時間)

※イルカです

勿論ゲーム全体から見れば格闘ゲームの売り上げが1位と言うのはゲームセンターの中だけの世界で家庭用を見ればRPGだったり、マリオ的な何かが上位を占めるだろう。

しかし、格闘ゲーマーの財布は相当大きかったのだ、別にお金持ちだったわけじゃなく御飯抜いたりしてるんだけど。

アレをもうちょっと色々なゲームにバランス良く遣ってれば…。

 

そして日本産の多くのゲームの可能性が奪われた。

※イルカです

いや、別に格闘ゲームを主としていたメーカーが悪いわけじゃない、多くの会社がそのブームに乗ろうと沢山の格闘ゲームが出ていた、その格闘ゲームの中でも新しい試みを皆して切磋琢磨していた。だからあれはあれで格闘ゲームの中にも埋もれた良作が沢山あった。

 

だから当時、面白そうだなと思ったゲームをもっともっとやりゃあ良かったな。

沢山有ったのよ、でも財布も時間も追いつかない。

友人付き合いの中に「真剣勝負できるレベルの格闘ゲームの腕」があったんだとしたら、それは要らなかったなと。

だって、ゲームしなくなっても普通に付き合ってるしねぇ。

 

 

んで、むしろ「これ面白いよ」って訳わからんゲームを友人達でもっともっと勧めあっていれば、その頃のゲーム開発会社のもう少し多くが残っていてくれたのかなと思ったりする。

 

スト6の隆盛で格闘ゲームが盛り上がりそうで(盛り上がってるのか既に?)喜ばしく、その火を消さなかったカプコンバンダイナムコを始めとするメーカーは素晴らしいと思うし、そこに再参入しようとするセガも「なんとかなれー」と思う。

 

だけど、自分はやり残したゲームや触れたことのないジャンルのゲームを遊んでおきたい、未プレイのメガドラ、PS1、遡ってMSX、もっとインベーダー(名古屋撃ちをやってみる…)とか。

Steam、月額制に二の足踏んでるがプロジェクトEGG、所有ではなく遊ぶに振り切れば…。ん-どうだろう。

手段はどうあれ広く浅く構えて色々やる。

 

イーグレットツー ミニ

 

死んだ子供の年を数える様な不毛な行為かもしれないが、それやって更に未知のゲームをやって「こんなゲーム有りますか~」「今のゲームはこんなですか~」と驚いていきたい。

対戦格闘ゲーム格闘ゲームとしてCPU相手にのんびり遊びたい、それでもかなり面白い。

これは最初の対戦格闘ブームを経た個人の話。

 

対戦で勝つと脳内ホルモンが出まくって若返るとか、その修練で規則正しい生活が過ごせるとか、拳を究めし者として生まれているとか、プロ目指してるとか、そういう人達とは無関係で、ただゲームを遊びや息抜きでやってる個人の話。

 

 

プロゲーマーのウメハラの本を読んだ事あるけど、もう立派だから、

単なるゲームプレーヤーがそれを食えるとこまで持って行ったとかもう

野球の長嶋さんみたいなもんだから。

彼・彼らから学ぶことは多いが、彼らは特別で自分とは違う。

 

また、勝負論の実践の場として対戦格闘ゲームをやるのもあるのかもしれない。

 

しかし、自分はそこ迄では無くあの興奮状態にもう一度入る気も今の所は無い。

知らぬ相手に腹を立てたり勝ち誇ったりするのも疲れる。

 

あの状態は一種の麻薬の様なものではないだろうか?。

ならば、もっともっと歳を取って何にもエネルギーを注ぐことが出来なくなった、そういう時が来たら自分を再点火させる為にやるかな。

対戦格闘ゲームはその位に面白い、そして劇薬だ。

 

対戦格闘ゲームを連呼してるけど、突き詰めると

「幾らでも遊べるように上手に調整された対(人間)戦ゲーム」か。

 

相手が人間だと終わることが無いんだ。